【原発賠償関西訴訟 第21回口頭弁論期日】

私は、弁護士になってすぐの頃から原発賠償関西訴訟の弁護団に所属しています。

今日は第21回口頭弁論期日に出席して参りました。

福島原発事故からもうすぐ8年が経とうとしています。

今回の期日では、原告の方の意見陳述も行われました。

避難者の方がどのような思いで事故発生からこれまでの8年間を過ごしてきたのか、また避難できずにとどまった人たちの思いや生活・・いつも絶品のお米を作って譲ってくれていた隣人は、「米を作れるようになったと言ったって飼料米しか作れなくなった」と絞り出すような声で訴えている、山間部は除染対象にならず、自宅付近の上流に汚染度の仮置き場を設置され日々汚染土を運ぶトラックが運び込む・・失意と落胆・・帰れない理由ばかり積み重なっていく・・元の幸せな生活に戻れない辛さ。

改めて避難者の方々の各々の避難の実態を胸に、弁護団から避難者の方々の被侵害利益について憲法上の権利である「平穏生活権」や「人格発達権」が侵害されていること、各地で出されている判決の評価について弁論がなされました。

次回期日は、5月23日(木)14時~大阪地方裁判所です。

傍聴券の抽選は13:15~13:30と流動的ですが、傍聴券の抽選に外れた方は中央公会堂小集会室3階で報告集会(模擬法廷)があります。

もし、お時間許される方は是非一度足をお運び頂ければ幸いです。

 

 

 

【最高裁判決】不貞行為による「離婚」の慰謝料は認められず。

離婚による精神的苦痛の慰謝料を、過去の不貞行為が原因だとして過去の不貞相手に請求できるかどうかが争われた裁判で、最高裁が1審2審の判断を覆し、「特段の事情がない限り」過去の不貞相手に対する離婚による精神的苦痛の慰謝料請求を認めない判断を示しました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190219-00000071-jij-soci&fbclid=IwAR0a-y8ABfqgXkstWva4Kinsh-3ziNt40OWf6fsmTYXReCzrOyuIdWyAsYI

この最高裁の判決は、不貞行為に対する慰謝料請求権まで否定したものではありません。

分かりにくいかもしれませんが、不貞行為自体から発生する精神的苦痛の慰謝料請求は、離婚するかどうかにかかわらず請求することが可能です。ただし、この場合、不貞行為及び相手方を知った時から3年という時効があり、3年を経過した後は慰謝料請求権を行使しても、相手方から時効消滅の主張がされれば、請求権が時効消滅することになります。

しかし、仮に「離婚をしたこと」の原因が昔の不貞行為によるものといえれば、「離婚をしたこと」自体に対する精神的苦痛の慰謝料についても過去の不貞相手に請求出来ることになりそうです。

この点について、今回の最高裁の判決は、離婚するかどうか自体は本来は夫婦間で決めることであるという理由で、特段の事情がない限り過去の不貞相手に離婚慰謝料を請求することはできないと判断したものです。

確かに、不貞行為から何年も経過し、不貞慰謝料の時効が成立した後、紆余曲折があって夫婦間で離婚を決めたからといって、過去の不貞行為が原因だとして不貞相手に離婚慰謝料を請求できるとするのは不合理(慰謝料請求権の時効が無意味になる、離婚自体は夫婦間で決めた結果)とも思えます。

とはいえ、今回の最高裁の判決から、直ちに、不貞慰謝料の算定の際に、離婚という結果が発生しているか否かということが慰謝料額算定の事情に一切考慮されなくていいということにはならないのではないかと思いますが、今後の裁判例の集積に注目していきたいところです。

校則への疑問は民主主義を学ぶチャンス

学生の頃、校則に疑問を持った経験はありますか?

先日、以下のようなニュースを読んで、私自身の中学時代を思い出しました。

https://www.nishinippon.co.jp/sp/nnp/national/article/484069/

私が中学生の頃、周囲の学校で男子の頭髪規制(丸刈り)がなくなっていくなか、私の通っていた中学校では未だ男子生徒は丸刈りという頭髪規制がありました。

私がちょうど入学した頃には、丸刈り規制をやめるべきでは?という問題提起があり、生徒会でも話し合いがなされていたようでした。

そこで、丸刈り規制をなくすために、生徒会が考え出したのが、頭髪規制をなくしても、風紀が乱れない、私たちはきちんと自分たちでルールを遵守できる、ということを学校にわかってもらおうという運動だったように思います。

その結果、卒業する前に、男子の丸刈りという頭髪規制は撤廃されました。

今から思い返せば、この出来事は、私がルールというものに関心を持ち始めるひとつのキッカケになったように思います。

校則というのは、学校という一つの社会の中のルールで、それをどう決めるか、どうしてそんなルールがあるのか、どうして守らないといけないのか、、

まさに、学生が社会やルールについて学べる絶好の機会であるように思います。

ご紹介した記事で、長野県の中学教諭の方が「校則や活動を生徒に任せていかないと主権者意識は育たない」と仰られていて、確かにその通りだなと思いました。

最近、学校教育は締め付けも多く、現場の先生方の悲痛な声も聞こえてくるところですが、、、

生徒を押さえつけ、諦めることばかり覚えさせるような経験ではなく、ルールとは何か、どうやって変えていくのかを学べる経験になればいいなと思います。

1年を振り返って

平成最後の・・という言葉が飛び交う年末でした。

今年一年は、事務所の移籍に伴い大阪弁護士会から滋賀弁護士会へ登録替えをしたことを含め、私にとって変化の大きい一年だったと思います。

事務所にとっても、東京事務所の移転・拡大など変化のあった一年であったと思います。

あっという間の一年でしたが、事務局さんを含む事務所のメンバーに支えられて、何とか年末を迎えられてホッとしております。

過去の依頼者様からお手紙を頂くこともあり、そういう時は、やはり担当させて頂いて良かったなとご縁に感謝致します。

普段は、「今」「未来」に目を向けがちですが、1年に一度くらいは、こうやって「過去」に思いを向けるのも良い機会かもしれませんね。

これまでの「過去」があるから、今の自分がいる。

「未来」の自分に恥ずかしくないよう、これからも精進致したいと思います。

移籍でご迷惑をおかけしてしまった方もいらっしゃると思いますが、皆さま快く移籍をご理解いただいて本当に感謝しております。

移籍後にも新たなご縁をたくさんいただきました。

皆さま、今年一年ありがとうございました。

来年も何卒よろしくお願い致します。

 

タトゥー裁判、控訴審で逆転無罪!

タトゥーの彫り師が、医師免許を持たずに医行為を行ったとして医師法違反に問われた事件で、昨日、大阪高裁で逆転無罪判決が出ました。
https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/muzai?fbclid=IwAR13z-7orG7VHDZl1PnVaez8kqADUlj1fo542ZWsmvZTcwurrFpMYduM5H8

一審の有罪判決と控訴審の無罪判決の判断を分けたのは、タトゥーを彫る行為が医師法で規制している医行為に当たるかどうかでした。
控訴審は医行為に該当しないと判断し、タトゥーの文化的歴史的価値も評価した上で、医師しかタトゥーを入れられないとすると実質的には禁止に等しく、憲法で定められた職業選択の自由を侵害するおそれがある、と判断したとのことです。

この裁判については、NOON裁判(クラブオーナーが、許可なくダンスをさせた罪に問われ、一審から最高裁まで一貫して無罪の判断が出た裁判)の際の弁護団でご一緒させていただいた亀石倫子弁護士が主任弁護人を務めておられ、裁判中の費用をクラウドファンディングで集めるという手法にも注目を集めた事件でもあり、お伝えしたいことはたくさんあるのですが、、、、

NOON裁判でも、タトゥー裁判でも、表現の自由や職業選択の自由といった憲法上の権利が国家権力に不当に侵害されることのないようにという価値判断が行われている点にも注目していただきたい。

憲法が何のためにあるのか。
私たちの人権が守られているのは当然だと思いがちですが、その当然の権利を国家権力による侵害から守る最後の砦が憲法です。

タトゥー控訴審逆転無罪判決を受けて、NOON裁判を闘った金光さんは、「私は「日本の司法は死んでいる」と諦めてしまう事の方が残念だと思っている。」とFacebookでコメントされていました。コメント全文も是非読んでみて下さい。https://www.facebook.com/1340874331/posts/10211652350927912/

司法は死んでいる、と諦めてしまう人が1人でも少なくなるように、、という思いで弁護士を志したことを忘れず、これからも日々精進していきたいと思います。

大阪憲法ミュージカル「憲法のレシピ」

こんにちは。

私があい湖法律事務所に入所して早くも1ヶ月が経ちました。あっという間ですが、通勤にはようやく慣れてきたかなというところです。

さて、今日は私が事務局を務めている大阪憲法ミュージカル「憲法のレシピ」をご紹介したいと思います。

これは、大阪の有志の弁護士が共同代表や呼びかけ人となり、大阪弁護士会の後援や大阪府、大阪市、各教育委員会などの後援を得て行っている市民ミュージカルで、私が関わるようになってから3回目の公演になります。

弁護士なのにミュージカル!?と思われた方もいらっしゃると思いますが、市民の皆様に憲法を楽しく知っていただくというのも、司法の一旦を担う我々弁護士の大事な仕事のひとつという思いでやっている活動です。今年も何名かは弁護士も出演します。

3年前の「無音のレクイエム」という演目には、実は出演もさせていただきました。

「無音のレクイエム」大変好評をいただき、去年は再演を行なったのですが、今年は新しい演目をということで、新作を演ります。

戦後の混乱の中、日本国憲法がどのようにつくられていったか、力強く生きる大阪の市民の目にどのようにうつっていたのか、突如独立を言い渡された大島では何が?笑いあり涙ありの盛りだくさんのミュージカルです。

9月の連休、文化の秋ですし、ミュージカルのご観劇はいかがですか?

 

【公演スケジュール】

9月14日金曜日 15:00 A      19:00 B

9月15日土曜日 13:00 B       17:00 A

9月16日日曜日 11:00 B        15:00 A

9月17日祝日     11:00 A         15:00 B

ダブルキャスト公演の為、AとBの両公演を、ぜひご観覧ください!!
【場所】
大阪ビジネスパーク円形ホール
大阪市中央区城見2-1-61
 【チケットお申込み方法】e-mail : osakakenpomusical@gmail.com

メールのタイトルに「チケット購入」と記載の上,メール本文にて下記内容をお知らせください。

①氏名

②公演日程

③区分(一般、大学生、高校生、中学生以下、障がい者)

④チケット送付先

⑤連絡先電話番号

 

【詳しくはこちら】

https://osakakenpomusical.amebaownd.com/pages/2043246/page_201806271019

【Facebook】

https://www.facebook.com/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB-1658793497692299/

73回目の終戦記念日。

今日は、73回目の終戦記念日ですね。
昨夜、ちょうど事務所のスタッフと、唯一の被爆国である日本国民としてどういう思いを持っているかと海外の旅先で聞かれたことがあるという話から、核兵器の廃絶は無理なのかどうか、いうような話をしました。
そういう話を気負わずに出来ることも大事なことだなぁと思います。

そこで、今日は、憲法9条がどのような思いで発案されたのかについての幣原元首相のインタビュー資料の抜粋を紹介したいと思います。

みなさんも、是非一度、お読みいただいて、ご家族やお友達とほんの少しだけでも話題にしてみませんか?

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「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」からの抜粋

 唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。

一、二、三の掛声もろとも凡(すべ)ての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。勿論不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。

ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮んだのである。
そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら――

最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。
次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルを持っている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若(も)しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。

しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。
どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。
恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。
何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。
今だ。今こそ平和だ。
今こそ平和のために起つ秋(とき)ではないか。
そのために生きてきたのではなかったか。
そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。
何か僕は天命をさずかったような気がしていた。

非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の汰である。
 だが今では正気の沙汰とは何かということである。
 武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。

 要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。
 何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
 これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。
 その歴史的使命を日本が果すのだ。

日本民族は幾世紀もの間戦争に勝ち続け、最も戦斗(せんとう)的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。神の信条は武力である。その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。何故(なぜ)なら武力は神でなくなったからである。神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。日本人はその悪魔を投げ捨てることに依って再び神の民族になるのだ。すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。

<問 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。目下の処は差当り問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実を設けて侵略してきたらです。>

その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然(しか)も次の戦争は今までとは訳が違う。

僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。勿論軍隊を持たないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。殊に世界の一員として将来世界警察への分担責任は当然負わなければならない。しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論に依って裏付けされたものでなければならない。そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。若(も)し或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それに依って脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力に依って我国の安全を護るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ。

出典:国立国会図書館憲政資料室所蔵
文書名「憲法調査会資料(西澤哲四郎旧蔵)」
文書番号165

ごあいさつ

はじめまして、弁護士の奥井久美子と申します。

昨日付けで、弁護士法人あい湖法律事務所のメンバーとなりました。
初日は、東京オフィスの移転パーティでたくさんの方々にご挨拶をさせていただき、早速身が引き締まる思いです。
今日から、滋賀オフィスの方で本格的に執務も開始致しました。

当事務所の代表である飛渡貴之弁護士、滋賀オフィスの金用大弁護士、東京オフィスの石井宏之弁護士とは、司法試験受験時代からの付き合いで、とても信頼をしている戦友のような仲間です。
このような形で、一緒に仕事ができるのをうれしく思うとともに、互いに切磋琢磨して、「より質の高い法的サービスを多くの方に提供したい」という理念を着実に実現していきたいと思っています。

今後とも何卒よろしくお願いいたします。